2016年6月27日月曜日

ゆきとどいた教育をすすめる佐賀県連絡会が9月17日(土)に佐賀市で予定している高垣忠一郎さん(臨床心理士)の講演会が、6月25日(土)に佐世保市内でおこなわれました。不登校の子どもたちの居場所づくり活動をおこなう「フリースペースふきのとう」が主催する「子どもサミット2016~不登校を通して思うこと」での基調講演です。講演の後は、不登校を経験した青年が登場したシンポジウム、翌日はテーマ別の交流会がおこなわれました。25日の行事に参加してきました。


【講演要旨】演題の「子どもたちのさけびが『聴けますか』」は重要な意味を持つ。不登校に悩んでいる子どもの叫びに耳を傾けているか。その声を聞き取ろうとするのが本物の大人の姿だが、なかなかそうなっていない。病気をなおすのは自然治癒力が働いてこそで、不登校も同じ。臨床心理士は本人の自己回復力を活性化するお手伝いをしている。
悲しさやしんどさを感じ続けている子ども、周囲に溶け込められない自分を責め続ける子どもがいる。人間関係を、敵か味方かで見る。自分をまるごと否定する。自分をいつくしむまなざしがなく、自分が感じていることよりも、自分がどう評価されているかを気にしている。
子どもを見るとき、大人には2つの目がある。人間として大事な力が育っているかをみる「厳しい評価の目」と、もう一つが「共感の優しい目」。この2つの目があることで、奥行きが見える。しかし、大人は厳しい評価の目でばかり子どもを見ていないか。点数や順位などは、ごく狭くて浅い評価の目でしかない。それは健やかな成長を願う目ではない。
1970年代半ばから学校に行けない子が急増した。競争教育や偏差値教育など、日本社会の大きな仕組みと密接に関係しながらすすんできている。40年間、不登校はいっこうに減らない。文科省の統計で12万人を超している。子どもたちは見えない地雷をいっぱい心に抱えて、学校で明るくふるまっている。いじめもその表れだ。子どもの心に地雷を埋めるような社会や教育を変えないといけない。
友達とのもみ合いの中で、自己中心性の殻をやぶっていくのが成長だが、自分の気持ちを言葉で表現する力を身につける経験が乏しい。そこで、親は大事な時には子どもと向き合い話を聞くことだ。その人の目線に立ってわかろうとする、相手を個人として尊重しようとすることが求められている。ひとりひとりが違うという認識が日本には乏しいのかもしれない。
この子にとっての最善の利益は、個人として尊重すること。かけがえのない人生の主人公として尊重し、どんなふうに感じているかを、振り返ってみては。真剣に振り返ることを不登校の問題は要求している。どんな気持ちで、何を感じているのか、理解しようとする大人でありたいと思う。大人と子どもの向き合い方を、もう一度振り返ってほしい。